大自然の脅威・2

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東北地方太平洋沖地震、発生から4日目をむかえました。
調査が進むにつれて、被害の大きさが分かってきました。

阪神淡路大震災と、東北地方の地震とは、津波があった事、原子力発電所の被害があった事等、違いがあるのですが、外から見ているメディアを通した東北地方の地震の現地の方はどんな経験をされておられるのでしょう。
今でも昨日の事のようにあの日の記憶がよみがえります。

阪神大震災で、事務所兼住宅の会社の建物は全壊し、両親もなくなりました。
ガレキの中から両親を引きずり出した時、まだ温かかったですので、
時間との勝負で、もっと多くの命が助かったのでは、といまだに思っています。
今回は自衛隊の出動が早かったですね。
両親を安置所に安置して、全壊した倉庫を確認に行き、
その日のうちに、事務所を解体してプレハブでいいから事務所を建てようと決めました。
家はマンションでしたので、半壊でしたが電気はきていたので暖房は使えました。
家内の兄が、その日飲む水と食料を京都から運んでくれたし、
冷蔵庫にあるもので夕食はすませました。

2日目になって、前の国道2号線は大渋滞の中、大工さんがやってきて、事務所の解体にかかりました。
両親は安置所で毛布を掛けられた状態で横たわっていました。

津波に会われた方は、遺体の確認も出来ない状態なのでしょうね。
私の経験どころではない惨状です。

当時、会社では携帯電話は私一人だけが持っていました。
社員が止めるのも聞かず、会社の瓦礫の中に潜り込んでその充電器を取り出したのを思い出します。
3日目になって、私が大学を卒業して、サラリーマンをしていた会社、
名古屋の麦島建設の大阪営業所の所長が、やってきて解体する機械を入れてもらう事になりました。
電話も通じませんので、社員3人がみんなでお得意さん周りをしました。

この日の午後、両親の「死亡診断書」が発行され、市役所に持って行くと「火葬許可書」が発行されました。
当時芦屋ではお寺も、葬儀屋さんも、斎場もつぶれ、火葬をする方法がありません。
そこで、加古川市にある父の実家まで遺体を会社のトラックに乗せて自分で運びました。
海岸沿いに西に行くのは、とても通れそうにないので、北の六甲山を超える事にしました。

ガソリンも十分に入っていなかったので、六甲山を超えたところのガソリンスタンドで給油しました。スタンドでは、トイレの水が流れる、電気はついているし、近くのコンビニでは商品は食料品を中心に売り切れ状態でしたが、菓子パンをひとつほおばる事が出来ました。
地震は阪神間だけだ、と、この時初めて自覚しました。
父の実家に着くと、親戚がみんなで迎えてくれて、叔母の入れてくれたお風呂に3日ぶりに入りました。
葬儀は土曜日になりました。

4日目、朝から芦屋に戻り、1週間前に肩の脂肪の塊摘出手術の抜糸をしてもらうため芦屋市民病院に寄りました。病院は、待合室から廊下までけが人であふれ、とてもそれどころではありません。
外科病棟の看護婦詰め所に行くと、担当の外科医がおられて、抜糸をしてもらったのですが、その時、病院には完全に消毒したハサミすらありませんでした。

修理の仕事は、戸締り、瓦が落ちた屋根にブルーシートを張る、上下水道の接続、外壁の修理と1年中続くことになります。

5日目、やっと両親を荼毘にふすことが出来ました。

東北ではもっと辛くて悲しいことがおこっているのでしょうねえ。
頑張ってほしいです。



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◎家守りの工務店◎
株式会社 藤野工務店
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by haruki-fujino | 2011-03-14 20:32 | 大切な物